ひきこもりはなぜ「治る」のか? 斎藤環 著(ちくま文庫)
会話でまず大事なことは、相互性と共感性です。会話というのはキャッチボールですから、一方的にしゃべるだけでは会話といえません。「しつけ」がよくないというのは、常に一方通行だからです。親は変わらないままで、子どもだけを変えようというのがしつけ的発想です。親は正しい存在だから変わる必要はない。だけど、あなたは間違っているからどんどん変わらなくてはいけない、というわけです。
治療や運動指導でも、会話のキャッチボールが上手くいっていると成果が出やすい。
相手からボールが返ってこない時は、自分の投げているボールが相手に届いていない時で、ボールの大きさや球筋を調整して投げるとちゃんとボールが返ってくる。
剛速球を投げれる人が治療や運動指導が上手いわけではなくて、老若男女様々な人とキャッチボールできる人が治療の上手い人だと思う。
治療や運動の成果がなかなか出ない時は、自分が変わらなくてはいけない機会だ。今よりももっと自分の球速や球種がコントロールできるようになり、配球パターンを増やしていけるようになりたい。
これは言い換えると、治療の成果を独占しないということでもあります。これは先に述べた「治療の享楽」にもつながりますが、治療者もどこかで「この人は自分の力で治したんだ」と思いたいところがあります。しかし、そのような欲望はできるだけ抑えなければなりません。
治療者はカリスマになってはいけないのです。カリスマによって救われた人は、ある意味で不幸ともいえます。なぜならカリスマは取り替えがきかないからです。
むしろ治療者にとって大切なのは、どちらかといえば「互換性」です。転勤や退職などの事情から治療者が交替するのはよくあることですが、ここで患者さんに「あの先生じゃないと私はダメなんです」といわせてしまったら、それは治療者として敗北なのです。治療においても重視される「一期一会」という言葉が、「別離」を前提にしていることを忘れるべきではありません。
「あなたの体のことは全て私が解っている。あなたは黙ってベッドで寝ていればいい。私の特別な手技でしかあなたの体は治せません。」
治療していると「自分の力で治した」とアピールしたくなり、こんなロジックを使ってしまいそうになるが注意したい。言葉による縛りが強く、もはや脅迫に近いと思う。患者が治療者から離れられなくなってしまうし、患者と治療者の距離感が曖昧になると、結局治療の効果も出なくなってしまう。
特別な「ゴッド・ハンド」でしか治らない体よりも「ゴッド・ハンド」以外でも治る体の方が強いはずだ。後者を目指した治療を心がけたい。