昔、「鈴木君、面白いんだってね。面白いこと言ってみて。」なんて話しかけてくる女子がたまにいて、恐怖しか感じなかった。
自分がもし面白い人だとしても、会話の中のタイミングや間をズラすことによって笑いを作り出すタイプだ。オチの前に長いフリを作っておいてそれをひっくり返すとかズラすとかしているのが多分面白いのだと思う。
今、この場で直ぐに面白いことを言ってなんて注文されても何も思い浮かばず一言も出てこない。
面白い人なのかもしれないけれど、一発ギャグ的な面白さとは対極の位置にいる。
笑いの瞬発力はゼロなのである。
そんな注文はダチョウ倶楽部さんにお願いするべきだ。ダチョウ倶楽部さんは一発ギャグの神だ。
テレビでは一発ギャグの若手芸人が入れ替わりで消費され続けているけれど、お笑い番組の平らな舞台でビデオテープのように同じ芸を繰り返すのではさすがに視聴者も飽きてくる。
いつからテレビでこんなことが繰り返されるようになったのだろうかと振り返ってみたら、志村けんさんの「変なおじさん」を思い出した。
志村けんさんが「変なおじさん」に扮装して可笑しなダンスを踊って「だっふんだ!」と意味不明の一言で閉める。
今の一発ギャグ芸人はすぐに飽きてしまうけれど、「変なおじさん」は今でも笑えると思う。
何で「変なおじさん」は飽きなかったのか。
「変なおじさん」は毎回シチュエーションを変化させていた。
悲しみで包まれた葬式会場に「変なおじさん」が登場してしまう。
おんおんと忍び泣き悲しむ奥様のアップ、それを慰める兄妹のアップ、子どものアップ、その後にいきなり「変なおじさん」が登場して「何だキミは?」と変なおじさんタイムが始まる。
もしくは、遺族が悲しむだけ悲しんだ後に棺のご遺体の顔をアップにしたら実は「変なおじさん」で、棺から飛び出て踊りだしたりする。
丁寧に前振りを作っていて、これを「変なおじさん」が壊す。葬式の様子は少しコミカルにしてリアルにし過ぎないで、葬式という儀礼のモラルに外れない程度に空気を壊す。
小島よしおさんの「そんなの関係ねぇ!」も棺桶の中から登場するだとか、結婚式のウエディングケーキに変装してとかシチュエーションを変えればもっと長く笑えたんじゃないかなと思う。
新人にはそんな大掛かりなセットは用意できないかもしれないし、地位も名誉も手に入れた大御所がまだ馬鹿やるのには敵わないかもしれないけれど。
志村けんさんは神だ。
僕にはくれぐれも無茶振りしないように気をつけてください。