『現代霊性論』読書記録

釈 「 男女共同参画社会の構想って、じつは女性を安い労働力としていいように使うのに都合がよかったり、人材派遣業にとって都合がよかったりという裏がありますからね。

かつてフリーターがいかにも自由を謳歌しているように思われて
いたこともありました。
結局、そういう風潮を信じた人たちが、今になって自分の首を絞める
ような雇用形態を選択してしまったことに気づいて、後悔している。

 とにかく、すでに人口に膾炙している情報を、いつの間にか
自分の意見として信じ込んでしまうと、その結果、誰かの都合の
よい方向に誘導されたり、操作されることがあるという自覚は
必要ですね。

 その自覚の有無が、大人と子どもの分岐点なのかもしれない。
どんな問題対しても、下手は下手なりに、とにかく一度は自分の歯で
咀嚼しようとしている人って、結果的に、大した意見を持たなくても、
すごく魅力的だったり共感できるようなところがありますよね。 」

(『現代霊性論』 内田樹 釈徹宗 著より)

情報化社会だといわれるけれど、本当に便利になったのかしら。
ネットに表示されるほとんどの情報は広告で、情報発信者の誘導的な操作が
読み取れる。自分で正確に情報を読みとって判断して選択できない人は、
ずっと搾取され続ける。

情報を咀嚼しない人の言葉は、スピーカーのように軽い音で響くので
直ぐに解る。結局、現実にいる身近な人が、自分のためと思って、
タイミングを図って、言葉を選択して届けてくれる情報が一番信用
できる気がする。

内田 「 献杯や煙草の回しのみと一緒で、人々の唾液が混じり合うというところに共食の人類学的な意味がある。食事は栄養摂取であると同時に、共同体の儀礼なんです。
 でも、今、鍋が食べられない子がけっこう多いらしいんですよ。修学旅行のご飯に鍋が出たら、箸をつけないという子どもがいるそうです。だったら、一生すき焼きもてっちりも食うなって(笑)」

食事が、儀礼というものからどんどん離れていっているのが恐ろしい。
既成のハンバーガーばかり食べている子どもに、残さず食べなさいだとか、
命をいただいているとか、命をいただいているのだからきちんとした姿勢で
食べなさいとか、「いただきます・ごちそうさまでした」ときちんと
言いなさい、ということを伝えるのは難しいと思う。

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