『ことばと文化』 鈴木孝夫 著 岩波新書 より
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そこで、自動車という一つの物体が、それぞれ名前を持った約二万個の部分の組み合わせでできているように、人体も何千という固有の名称を持った部分の総合体であると考えられやすい。ところが、両者の間には、非常な違いがある。
まず自動車では各部分を構成する部品には、どれも明確な独立性があり、他の部品と、はっきり区別されているのに、人体の各部は連続体なのである。顔には、眼や鼻や口があるといっても、実はその限界がはっきりしないのである。
頬と顎とは別の部分であることは誰でも知っていようが、さてそれでは、どこからが顎で、どこからが頬かとなると誰にも分からない。眼や唇などは、頬や顎に比べて、はるかに独立性が強いように思われるが、これとても非常にあやしいことが、少し調べてみればすぐ明らかになる。
小学生低学年くらいの子供にもストレッチを指導することがありますが、このくらいの年齢の子供はまだ自分の身体の部位を示す言葉を知らないことが多くて興味深いです。
ストレッチの指導の際に、『足の指』、『足首』、『すね』、『ふくらはぎ』、『膝』、『太もも』、『お尻』などの言葉を使っていますが、小学校低学年のお子さんは、お母さんに向かって「『ふくらはぎ』ってどこ?」と確認したりしています。
『骨盤』や『股関節』なんて言葉はもちろん分かりません。これは大人の人でも認識が曖昧な部分だと思います。
ですので、小さい子供には「脚をね、先生の真似してこんな感じで捻ってみて」というような言葉を使って指導することが多々あります。大人が使っている言葉よりもジェスチャーや擬音語を使う割合が多いです。
無理に『骨盤』や『股関節』なんて言葉を理解させようとすると、かえって動きが硬くなってしまう子もいます。これも大人の人に対してもいえることです。無駄な知識がかえって動きを制限してしまっていたり、得た知識通りに自分の身体が動かないのは自分の身体に不具合があると考えてしまう。たしかに自分の身体に不具合がある場合もありますが、メディアで得た情報自体が間違っていたり、情報の読み込み方が間違っているする場合もあるので注意が必要です。
知識のついた大人には、ある程度は初めに言葉で理屈を説明してから指導した方が上達しやすいかもしれません。しかし、『勘』の良い子供は動作の見本を見ただけで直ぐに真似してできてしまいます。
人間の本来の学習能力は、こういった本能的な『勘』の部分が大切なのではないかと考えています。本来持っている『勘』の部分を損なわないように、上手く言葉を使って指導していきたいと考えているこの頃です。