河合隼雄先生の本を読み返してランニングで気づいたこと②

これには悪い面と良い面がありました。

悪い面は、必要以上に身体を酷使してしまっていたことです。
数字を出すことにばかりに意識がとられて身体に負荷がかかりすぎ、
4~6ヶ月に1回の頻度で腰痛が起こっていました。あと、自分よりも
遅い妻や仲間とのランニングを楽しめなくなっていました。

ランニングを楽しむモノサシ(価値観)が数字だけの単調なものに
なってしまっていたようです。

良い面は、自分の練習を客観的に評価できるようになったことです。
自分は小中高校とサッカーを頑張っていましたが、『頑張る』というのは
本人の主観で、今思い返すと全く練習時間が足りずエネルギーを向ける方向も
間違っていました。走行距離とペースを数字で記録して、自分よりも速い人の
練習記録と比べて客観的に評価して練習をしたことで、ある程度計画通りに
目標(数字)が達成できるようになりました。

前回ブログの河合先生の引用部分だけ読むと、「分ける」世界を否定している
ように聞こえてしまうかもしれませんが、河合先生は、よく
「両方できな、あかん。」

とおっしゃっています。
(今の社会は「分ける(言葉で表現できる)」世界の割合が大きくなり過ぎて
しまっているという 問題提起はされていて、僕もそれに共感します。)

「融合」の世界と「分ける」の世界のどちらが良いというわけでは無く、
お互い補い合うもので、僕には「分ける」の世界が足りないのだと感じました。
しかも、改めて自分を見つめ直してみると意外に「分ける(言葉で表現できる)」
世界が嫌いではないみたいです。

治療では数ミリ単位で身体を見る必要があることがあります。そういう身体を
細かく分けて見るところを面白いと感じます。
足首の腱を触診する時に、前脛骨筋、長趾伸筋、長母趾伸筋、短趾伸筋、
短母趾伸筋などを探っていくと自然と数ミリ単位で身体に触れていく作業に
なります。

腱をたどって筋腹を触って、どのくらいの太さの鍼をどの角度でどのくらいの
深さ指すか、指したら直ぐに抜くか数分置くかなど、言葉や数字で記録して
おくと治療に再現性が出てきます。

治療者が使う「自分の感覚」とか「経験上の勘」という言葉はとても「融合」の
強い言葉で、僕はどうやらこういう曖昧な表現が嫌いなようです。

「自分の感覚」や「経験上の勘」という言葉を使わなくても身体の症状は色々な
言葉で表現できます。
治療の際には、肌の色、ザラザラ、脂っぽい、凹面、熱感、冷感、脈の有無、
筋力、関節可動域など、この他にも様々なチェックポイントがあり、先人達
が残した本に記載されています。

これらのチェックポイント以外で第六感的なものが働くことはありますが、
治療後に文献を調べると、この第六感的なものさえも文章化されていたり
します。
しかし、専門用語を使ったものや抽象的な表現が多く患者には伝わりにくい
ものが多いです。

相手の身体の状態を全て言葉で伝えるのは難しいですし、やはり言葉で表現
できないこともあります。「自分の感覚」とか「経験上の勘」という言葉が
嫌いなのではなく、全てを「自分の感覚」で済ませて相手に伝えようとしない
態度が僕は嫌いなんですね。

まあ、でも言葉で伝えるのが下手だから治療家をしているという人も多いの
かもしれませんが。

もう1回だけ続きます。