河合
います、います。それが面白いんですけど、中学生や高校生は、しゃべらないんじゃなくて、しゃべれないんです。小川
言葉がない。河合
ないんです。というのは、大人はごまかしてしゃべれる。ちょっと間が悪いなと思ったら、「いや、曇ってますな」って言えばいい。話を続けられるんです。
ところが中学生や高校生の子はそんなことは絶対に言いたくないわけです。自分の腹の中にある、一番これが言いたいっていうことだけを言いたい。だけど、そのための言葉がない。自分が捕まってることと自分が使える言葉というのが離れすぎてる。『生きるとは、自分の物語をつくること』小川洋子 河合隼雄著 新潮文庫
中学、高校の時の自分がこうだったと深く共感しました。
テレビで子役タレントの子どもを見ると言葉が達者で感心しますが、あれは別に自分の言葉を喋っているわけではないと私は思っています。大人の使う「いや、曇ってますな」と一緒で、社会の中では「相手がこう言ったら、自分はこう言って返す」というマナーがある程度決まっていて、それを学習すれば子どもでも大人を相手に流暢に喋れる。子役タレントは大人のディレクターが自分にどんなコメントを求めているのかを事前に学習して、自分の容姿に合った可愛らしい模範解答をする。
自分の若い頃は、「自分の腹の中にある、一番これが言いたい」ばかりを相手や場所を問わず話したがっていましたから、社会の中では上手く人間関係を築けていなかったように思います。相手との距離感覚が全く無くコミュニケーションが下手でした。
今思い返せば、「自分が捕まっていること」が何なのか全く解らず怖かったのだと思います。それを誰かに話して相談して安心したかったのかもしれません。
最近になってある程度自分の中で「自分が捕まっていること」を言葉で文章化できるようになってきて、「自分が捕まっていること」を客観視でき、距離を取れるようになりました。全く安心することはできないのですが、不安を受容できるようになりました。
色々と苦労しましたが、「いや、曇ってますな」は大人になってから社会に出れば幾らでも学習できるので、子どもの早い時期から身に付けなくても良いのではないかと思います。
子どもの早い時期から「曇ってますな」ばかりを学習して、子ども自身が「自分の言葉」を失ってしまうのが一番怖いです。