「なぜ日本人の体型は胴長短足だったのか」番外②
『 運動 』 について
『 運動 』 というと、サッカーや野球のようなスポーツを連想したり、フィットネスクラブでのエクササイズやウエイトトレーニングを思い浮かべる人が多いかもしれません。
これらも 『 運動 』 ですが、これだけを運動だと意識してしまうのは少しバランスが悪いような気がします。たしかにスポーツやエクササイズも運動ですが、それだけが運動ではありません。
私たちが日常で無意識に行っている行動の全てが 『 運動 』 です。
スポーツで行われる歩く、走る、跳ぶ、投げる動作はもちろんのこと、呼吸する、話す、食べる、聞く、見る、などの全てが人間の運動です。
これらの運動は無意識でほぼオートマチックに繰り返されています。
私たちは日常で、◎◎筋を使って歩く、横隔膜を収縮させて息を吸い込む、声帯を震わせて声を出す、食べ物を口に入れて咀嚼して唾を出して胃を動かして酵素を出して消化する、鼓膜の振動を感じ取って音を判断する、見る物体の距離や周りの明るさに合わせて眼球の瞳孔の大きさを調整する、
などの全ての運動を自分の意識上でコントロールできているわけではありません。
一部の 『 達人 』 と呼ばれる人は意識して動かすことができるかもしれませんが、意識して動かすというよりも、『 もともと動いているものを意識して調整する 』 、という言葉の方が近いように思います。
話が少し反れたので戻します。
スポーツは得意だけれど、歩く姿は何だかみっともないし、食べる仕草も綺麗じゃないし、相手と会話によって意思の疎通がとれない。
これも一種の運動音痴なのではないかと私は考えています。
そして、スポーツだけを運動だと意識し、無意識の運動を疎かにする無意識の運動の運動音痴の人が増えているような気がするのです。おそらく、スポーツができない運動音痴が多いよりも、この無意識の運動の運動音痴が多い方が、社会にとって深刻な問題だと思います。
そう思ってブログの連載を始めたのでした。また書こうと思います。
そもそも、『 スポーツ 』 も文明開化によってもたされた輸入文化です。
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